混沌的古典力学が量子の運搬をどう変えるか:概要と主要現象
この章は、古典的に「混沌的」な動きをする系での物質や粒子の運搬(トランスポート)を、量子力学の観点から概観したものです。著者はまず一粒子問題を扱い、ついで保存系と散逸系の多体系へと話を広げます。章は実験で再現可能な例にも触れながら、過去40年にわたる「量子カオス(Quantum Chaos)」の発展に沿って説明を進めています。主役は、古典で乱れた運動が量子世界でどのように修正されるか、という問いです。
著者は扱う問題を三つのグループに分けています。第一は一粒子の量子力学だけで説明できる問題。第二は粒子間相互作用が重要になる多体系で、ここではボース粒子(同じ状態を共有しやすい粒子)に焦点を当てます。第三は系全体を確率的な密度行列で記述するタイプで、境界に熱浴(リザーバ)をつなぐような設定が含まれます。理論的には、古典平均と量子平均を比べて、量子効果が古典的拡散や放射のような振る舞いをどう変えるかを調べます。
章の具体例として古典でエネルギーが拡散的に増える「キックドローター」や、時間で振動する格子ポテンシャル中の粒子が挙げられます。キックドローターでは、古典では角運動量の二乗平均が時間とともに線形に増えますが、量子版ではある条件下で増加が途中で止まり、エネルギーが飽和します。この現象は「動的局在(dynamical localization)」と呼ばれ、アンダーソン局在(無秩序による空間的な局在)と類似した干渉起源を持つと説明されます。ここで重要なのは励起の周期などのパラメータの「整合性」で、周期とプランク定数などの比が有理数か無理数かで、局在するか拡張するかが変わります(有理なら拡張状態へ、無理なら局在へ)。また、古典的に規則的な運動成分と混ざることで起きる「混沌支援トンネル現象(chaos-assisted tunneling)」のような効果も紹介されます。
固体物理や冷却原子実験で重要なもう一つのテーマがブロッホ振動(Bloch oscillations)です。周期格子に静的な力Fをかけると、バンド構造(エネルギーが波数で帯をなす性質)のために粒子は直線的に加速せず、周期的に振動します。振動の角周波数はωB=dF/ħ(dは格子周期、ħは換算プランク定数)で、振幅は力が強いほど小さくなります。格子の最低バンドだけを近似する「タイトバインディング」モデルでは、局在したワニエ状態(Wannier–Stark状態)と等間隔のエネルギー列が現れ、その局在長さはおよそ2J/(dF)(Jは井戸間のトンネル結合)と表されます。ただしこの単一帯近似は、力が弱くてバンド間のランドau–ゼンナー(Landau–Zener)遷移が無視できる領域に限られます。遷移が無視できない場合は、ワニエ–スターク状態が準安定になり、固有エネルギーに減衰率Γが現れます。
交流(AC、交流)駆動を加えた格子では、駆動周波数がブロッホ周波数に一致すると、もともと局在していたワニエ–スターク状態が結合されて拡張状態になり、再び自由な運動が可能になります。つまり交流駆動は誘導トンネリングを引き起こし、運搬挙動を根本から変えることができます。こうした効果は冷却原子を光格子に閉じ込める実験系で実証しやすく、実験的な再現性が高まったことがこの分野の進展に寄与しています。章には、キックドハーパー模型や竪立場(Stark項)を加えると拡散から局在へと移るなど、他の具体例も示されています。
最後に限界と注意点です。著者は章の範囲を限定しており、グリーン関数法やダイアグラム手法のような高度な輸送理論は扱っていません。また、多体系の議論はボース粒子に限定しています。さらに多くの現象はパラメータの「整合性」や駆動条件に敏感です。したがって、ここで述べられる直感や近似は、扱う物理系とパラメータ領域を慎重に選ぶ必要があることに留意してください。