日次米株リターンを再現する単純なマルコフモデル:重い裾の分布で「ボラティリティの塊」を取り戻す
この論文は、日次の米国株リターンを合成する単純な確率モデルが、長く信じられてきた欠点を克服できることを示しています。研究者たちは、隠れマルコフモデル(HMM)の一種である連続エミッション隠れマルコフモデル(CHMM)を使い、各「レジーム(状態)」がその日の成長率を自分の確率分布から出す設計にしました。ポイントは、時間的な構造(状態が変わる連鎖)と分布の形(各状態の確率分布)を切り分けることです。従来、少数状態でガウス分布を使うモデルは絶対リターンの自己相関の減衰が速すぎるとされ、より複雑な半マルコフ(semi-Markov)に移行されてきましたが、本研究は「分布の柔軟性」を高めればその不足が埋まると示します。
研究者らは、期待値最大化法(Expectation-Maximization、EM)に基づく統一的な推定枠組みを作りました。具体的には、各状態の分布としてガウス、Student-t、ラプラス、一般化誤差分布(GED)の4種類を同じ前向き後向き再帰(forward-backward)で扱い、分位点に基づく初期化で学習を安定させます。また、遷移行列の固有値に関するスペクトル的な恒等式に着目し、「絶対成長率の自己相関の減衰モードの数は、中心化された遷移行列のランクで上限される」という診断も導入しました。さらに、モデルから得た状態推定を使い、レジーム条件付きのValue-at-Risk(VaR、損失の極端な確率を示す指標)を予測する仕組みと、複数資産を結合するコピュラ(相互依存をモデル化する手法)への拡張も実装しました。
評価は多面的です。S&P 500に連動するSPYのローリング評価、業種バランスを取った30銘柄のパネル、CRSPデータによる年代間の移転検証、6資産バスケットのテストを行いました。結果として、重い裾をもつ分布(とくにStudent-tやGED)を各状態に入れると、従来のガウス単純モデルが残していた尖度(裾の重さ)ギャップを大部分で埋めました。典型的な銘柄では、遷移行列のランクによる上限は少数の状態を使えば実際には支配的でなく、時間的なモードを増やすよりも分布の柔軟性が重要でした。また、構築したレジーム条件付きVaRは主要なデータ窓でChristoffersenの「同時条件被覆検定(ジャイント条件被覆)」に合格し、多資産版ではStudent-tコピュラが単一指数代替よりも資産間の相関を忠実に再現しました。
この結果が重要な理由は二つあります。第一に、単純で解釈しやすい有限状態のマルコフモデルが、重い裾を持つ分布を組み合わせるだけで「ボラティリティの塊(volatility clustering)」などの代表的な特徴を再現できることを示した点です。第二に、モデルが合成パスの生成だけでなく、実務で重要なリスク指標(レジーム条件付きVaR)や複数資産の結合に直接使える点です。これらはブートストラップや半マルコフの単純最尤推定では同時に満たしにくい機能です。
重要な注意点も明記されています。有限状態のHMMは本質的に有限個の幾何学的減衰モードしか持たないため、ここで示した適合が一般的な「べき乗則(パワーロー)」的な長期記憶を証明するものではありません。実際には、単窓の生データ当てはめでは独立ブートストラップや最尤の半マルコフモデルに劣ることもありました。適用範囲は日次の米国株に限定され、GLDのような非株式のテストでは静的なフィッティングが破綻した例も報告されています。さらに、プライバシー保証は与えられていませんし、レジームの性質が変わる場合は定期的な再推定を推奨しています。