超冷却原子で再現した2次元U(1)量子スピン液体を非平衡で準備 — 大規模系で約100サイトのコヒーレンスを観測
この論文は、約3,000を超える格子サイトを持つ系で、U(1)格子ゲージ理論に対応する「量子スピン液体」を実験的に作り出し、性質を調べた研究です。量子スピン液体とは、通常の磁気秩序を持たず、多数のわたる配置の重ね合わせ(コヒーレンス)で特徴づけられる非常に絡み合った状態です。研究者らは平衡状態の基底ではなく、非平衡な準備プロトコルを使って大きな領域のスピン液体を実現しました。
実験系はセシウム原子の量子ガス顕微鏡と、調整可能な二次元光学スーパー格子です。原子の振る舞いは2次元ボース=ハバード模型で記述され、トンネル結合J/h≈130 Hz、オンサイト相互作用はU/J≈24、格子に掛けるずらし(ステaggered)ポテンシャルはΔ/J≈12、対角線方向の傾きはδ/J≈2というパラメータで動作します。これらの条件の下で単一粒子の移動が抑えられ、二粒子の相関トンネル(近接する頂点の二つの単粒子が一緒に移動してリンク上に二重占有を作る)による運動が支配的になります。二粒子転移の有効結合はJeff≈4√2 J^2/Uで、対応する有効トンネル時間はTeff=ħ/Jeff=5.13(7) msと報告されています。実験ではまずすべての頂点に単粒子(モノマー)を配置する初期状態から出発し、半断熱的な掃引でモノマーをリンク上の二重占有(ダイマー)に変換していきます。
重要な技術的前進として、研究者らは「ダブロン検出」技術を導入しました。通常の蛍光撮像では二重占有サイトは空として写ってしまうため、格子上のモノマーとダイマーを同時に検出することができません。そこでダブロンを撮像前に単一占有に変換する方法を用い、ダブロン検出の変換効率は98(1)%と高い忠実度で報告されています。この検出を使って47×47サイト(500 を超える頂点と1,000本のリンク)にわたる領域でガウスの法則(各頂点に対する局所的制約)が守られているかを直接調べました。時間発展実験(クエンチ)では、ガウスの法則を満たす頂点パターンが長時間にわたり高い割合で残り、傾きを入れることで法則違反が進行する速度を遅らせられることが示されました。さらに実空間のダイマー-ダイマー相関や、運動量空間に現れる「ピンチポイント」と呼ばれる特徴(U(1)ゲージ構造の指標)も観測しています。
状態の「量子的」な性質を直接調べるために、ラウンドトリップ干渉計プロトコルも実行されました。これにより多体系の異なる配置間での大規模なコヒーレンス(位相関係)が観測され、量子スピン液体領域が概ね100格子サイトにわたって延びているという強い証拠が得られたと報告されています。また、準備された状態はRokhsar–Kivelson(ロクサール=キベルソン)波動関数に良く一致するという記述があり、これは等重みで多数のダイマー被覆(配置)を重ね合わせた特殊な波動関数です。
重要な注意点もいくつか挙げられます。本実験で作る量子スピン液体は、実験に用いたハミルトニアンの平衡状態(基底状態)として自然に現れるわけではありません。研究では非平衡の半断熱掃引によって状態を準備しています。加えて、2次元のU(1)量子スピン液体は一般に臨界的でエネルギーギャップを持たない(ギャップレス)ため、安定性が限られやすいことが理論的に知られています。実験データではガウスの法則を満たす割合はゆっくりと減少し、系内で探索される有効ヒルベルト空間の大きさが制約されていることを示す解析も報告されています(例として一部の評価では有効次元が約2と見積もられています)。これらは、観測された大規模コヒーレンスやスピン液体的な性質が準備法と検出法に依存していることを意味します。
まとめると、この研究は大規模な人工格子上で局所制約を持つゲージ理論に対応する量子状態を非平衡で準備し、直接かつ空間分解能の高い方法でその構造とコヒーレンスを調べた点が新しい成果です。導入した高忠実度のダブロン検出や、複数の観測チャネルを組み合わせた手法は、今後の合成量子系での「高度に絡み合った」状態の実験的探索に役立ちそうです。ただし、得られたスピン液体性が平衡の基底に対応するか、長時間安定に保てるかといった点は今後の課題として残っています。