古典計算機で定常(静的)性質を多項式時間で計算可能に──不平衡では量子計算の優位性が残る
この論文は、小さな相互作用系(インパティリティ)と大きな非相互作用バス(環境)からなる「量子インパティリティモデル」をどう計算機上で扱えるかを調べています。主な結論は、基底状態のエネルギーや熱平衡での静的な性質は古典計算機で効率よく(多項式時間で)求められる一方で、時間発展や非平衡の動的量は古典計算では難しく、量子計算機での計算が本質的に強力である、ということです。特に、非平衡グリーン関数という動的な量は、有限温度でも普遍的な量子計算を表現できるほど計算的に強いことを示しています。これにより、静的性質についての超多項式的な量子高速化は期待できないことが示唆されます。
量子インパティリティモデルとは、局所的に強く相互作用する少数のフェルミ粒子(インパティリティ)と、大きくて相互作用しない粒子群(バス)とが結合した系を指します。こうしたモデルは磁性や電子輸送の古典的問題から、現代の電子構造計算で使う埋め込み法(例:動的平均場理論=DMFT)まで幅広い応用があります。小さなインパティリティが計算を単純にするわけではなく、低温では従来の摂動論が破綻する例(コンド効果)も知られます。
著者らはまず、静的性質を古典アルゴリズムで求める具体的な多項式時間の手順を示しました。主な保証は二つで、基底エネルギーを加法誤差δまで見積もる計算が系の大きさnとδ^{-1}の多項式時間で行えること、また逆温度β(低温は大きい)における分配関数(全状態和)を相対誤差δで求める計算がn,β,δ^{-1}の多項式時間で行えることです。これは以前の「準多項式(quasipolynomial)」時間保証からの改善であり、熱平衡の厳密な多項式時間保証を与えるのは初めてです。技術的な要点は「圧縮補題」と呼ばれる結果です。適切な基底変換の後に、基底状態や熱状態で重要な部分が全ヒルベルト空間の非常に小さな次元の部分空間に集中することを示し、その小さな空間内で対角化することで効率化します。圧縮後の空間の次元はインパティリティの相互作用強さや結合強さに依存しない点も重要です。
ただし重要な注意点があります。アルゴリズムの実行時間はインパティリティのサイズ(モード数)に対して指数依存を持ちます。論文ではインパティリティのサイズを定数として扱っているため多項式時間保証が得られますが、インパティリティが大きくなると計算量は急増します。また、熱状態を圧縮する議論はバス項のスペクトルギャップ(最低励起状態と次の状態のエネルギー差)や温度に関する条件を用いており、熱圧縮の適用にはその種の前提が関係します(本文の詳細な条件を参照してください)。さらに、静的性質に関する結果は古典的多項式時間を示すものであり、動的な量に関しては正反対の結論が出ています。非平衡グリーン関数の見積もりは、有限温度でも普遍的量子計算を完全に表現できる問題であり、古典計算機で効率的に解けるとは思われません。無限温度の場合でも、「ワンクリーンキュービット」モデル(限定的な量子計算モデル)で困難とされる問題に相当します。
この結果は実践にも示唆を与えます。量子コンピュータを使ってインパティリティ問題を解くことを目指す提案(例:量子強化DMFT)に対して、本論文は「静的な核心的課題は古典機で効率的に解ける。もし量子的優位があるとすれば、非平衡や時間依存の動的量の計算に由来するはずだ」と述べています。論文はまた、古典的手法と数値的アイデア(ウィルソンのチェーン変換など)を理論的に整理して、多項式時間アルゴリズムへとつなげた点でも貢献しています。