「無ニュートリノ」という呼び方はいつ生まれ、なぜ問題なのか
この論文は、素粒子物理で広く使われる「無ニュートリノ(neutrinoless)」という言葉がどこから来たかをたどり、その言葉遣いが本来の物理の意味を隠してしまっていると論じます。著者は語源を1953年の実験報告までさかのぼり、当初の理論的な表現(マヨラナが提案した「ニュートリノが自分自身の反粒子である」という主張)から、欠けているものを指す曖昧な呼び方へと変わっていった経緯を示します。論文は、言葉を変えることが単なる言い回しの違いでなく、研究の焦点をずらす可能性があると主張します。
まず、扱っている物理の概略です。通常の二重ベータ崩壊では、1つの原子核が別の核種に変わるときに電子が二つと反ニュートリノが二つ出ます。反ニュートリノは「レプトン数」という量を守る役割を果たします。一方で、もしニュートリノがマヨラナ粒子(自分の反粒子と一致する粒子)であれば、中間で再吸収されて反ニュートリノが出ない場合が理論的にありえます。こうした場合には電子だけが二つ出て、見かけ上「ニュートリノがない」崩壊が観測されます。著者はこれを単に「無ニュートリノ」と呼ぶよりも、「実験室での物質の創出(matter creation)」として言い表す方が本質を正しく示すと論じます。
論文が行ったことは歴史的な追跡です。英語辞典(Oxford English Dictionary)は「neutrinoless」の最初の記録を1969年としているが、著者は1953年のJ. A. McCarthyによる実験論文がこの語をすでに使っていたことを示します。1952年にH. Primakoffが「ニュートリノを伴わない二つの電子の放出」といった記述をしていたことが下地になり、1953年の用語の採用は1950年代半ばに世界中へ急速に広がりました。1954年の学位論文やソ連・日本の論文でも同語が見られ、1960年には主要な総説でも定着しました。背景には、1950年代の実験の混乱や誤検出(後に誤りと判明したものもある)に対する科学者コミュニティの「疑いの社会学(sociology of suspicion)」があり、理論的な起源をあえて切り離して経験的に記述する傾向が強まったと著者は説明します。
この問題が重要な理由も示されています。言葉が「何がないか」を基準にすると、その現象を説明する深い理論的主張(マヨラナ粒子の存在や宇宙の物質と反物質の非対称性につながる示唆)との結びつきが弱まります。さらに、1956年以降の弱い相互作用の発展で、ケネス・ケースらが示したように、この崩壊の起きる確率はマヨラナ質量の二乗で抑えられ、非常に稀な過程となることが分かりました。つまり実験は極めて困難であり、単に「ニュートリノが見えなかった」という記述だけでは、観測が示す物理の重大さを十分に表現できない可能性があります。最近はイタリア・トレントでの会議の議論に代表されるように、コミュニティの一部で用語を見直し、「新しい物質が検出器内で生まれた」と認定するための実験要件を明確にしようという動きがあると著者は伝えます。
論文の限界も明記されています。これは歴史的・概念的な考察であり、新しい実験データを示すものではありません。また、当初の実験的なきっかけ(1953年の報告など)が後に誤りだったことも論文自身が指摘しています。著者は用語を変えることが科学的発展に役立つ可能性を示唆しますが、それが直ちに実験の成功や理論の確証を保証するわけではないと慎重に述べています。