薄膜リチウムニオブ酸化物チップで実現した空間・時間多重型GBS:1ミリ秒で11,059光子を検出
この論文は、光子を使った量子計算の一種である「ガウシアン・ボゾン・サンプリング(Gaussian boson sampling, GBS)」を、チップ上で時間と空間を同時に多重化して動かせる世界初のシステムとして報告します。研究チームは薄膜リチウムニオベート(TFLN)上に高速電気光学変調器、チップ内遅延線、そして時空間を混ぜる干渉ネットワークを一枚のチップに刻み込み、4ギガヘルツのクロックで動作させ、最長で1ミリ秒あたり11,059個の検出イベント(光子)を記録しました。これはチップスケールのGBSとしては最大級の規模です。
GBSは、特定の出力確率を古典コンピュータで厳密に計算するのが非常に難しい問題を自然に生成することで、量子優位性(特定の問題で古典より有利になること)を示す候補とされています。従来の実験は自由空間光学やファイバーベースで行われ、大規模化や工学的な実装にあたっては光学的な整列の困難さ、位相の不安定さ、設定変更のしにくさといった問題が残っていました。空間と時間の両方をチップ上で混ぜる設計は、これらの課題を解決する見込みを持ちますが、低損失・高精度・高速変調を同時に満たすウェハー規模の製造技術が必要です。
研究チームは約4.5年をかけてウェハースケールのTFLNチップ製造ラインを構築し、設計と試作を短い反復で最適化しました。得られたデバイスは250ピコ秒の時間ウィンドウ(タイムビン)を使い、スポットサイズ変換器の平均損失は1550 nmで面あたり0.9 dB、熱光学式Mach–Zehnder干渉器は35 dB以上の消光比を示しました。電気光学変調器の半波電圧は3.18 V、3 dB帯域幅は67 GHzを超え、システム全体は「0.01」以内に温度を安定化して動作させています(元の抜粋で表記された値に基づく)。光源からのパルスはチップ上のMZI(光を分岐・合流させて位相を変える回路)や遅延ループを経由して検出器(超伝導ナノワイヤ単一光子検出器)へ渡されます。最高ポンプ電力300 mWの条件で、1ミリ秒あたりのサンプル中に最大11,059クリック(検出イベント)を観測しました。
この仕事の意義は二つあります。第一に、チップ上で時空間を混ぜる設計と高速変調を組み合わせることで、安定性とプログラム可能性を大幅に改善し、工学的に拡張しやすい光学量子ハードウェアの実現に近づいた点です。第二に、同じ光学ハードウェアを再構成して「世界モデル」と呼ばれる学習モデルに使い、流体の渦(Kármán渦街)といった物理現象の予測を行ったところ、古典的なエコー状態ネットワーク(echo state network, ESN)よりも少ない学習パラメータで低い予測誤差を達成しました。これは光子サンプリングの持つ多次元相関をデータ駆動型の応用に活かす可能性を示しています。
重要な注意点もあります。抜粋にある通り、古典シミュレーション能力は年々向上しており、系の損失が大きいと古典的に再現可能になるという指摘が存在します。研究チームは損失予算を満たすために長い開発期間を費やしたと述べていますが、GBSが本当に古典的に困難であるかどうかは損失や他の詳細条件に敏感です。また、この成果はGBSに特化した大規模なサンプリング実験の技術的前進を示すものであって、汎用量子コンピュータの実現を意味するものではありません。抜粋は本文の一部であり、実験の詳細や評価基準を完全に理解するには本文全体の確認が必要です。